• 泉州豆知識〜泉南〜 鬼木田物語
  • 鬼木田物語
     昔むかしの事であった。ここは岡中村の百姓、市五郎の家である。女房お松の腹は太鼓のように膨れハアハアと肩で息をしている。暑さきびしい折から傍目にも見るに耐えないものがある。お松の母、お竹は岡のお地蔵さんに安産を一心に祈るのであった。しかしある日の事、「お松が無事にお産しますよう、男児でも女児でも結構でおます。」といった具合に一心不乱に祈った帰りお松を見舞ったのであるが、祈願の甲斐も無くお松は息絶えていた。
     折角あないお願いしたのに…岡のお地蔵さんは薄情や。お竹はすっかり岡のお地蔵さんに不信を抱き、そして恨み言を並べるのであった。親戚や近所の人たちの手を借りて弔いの準備をしている時、忽然と白髪の老人が現れ、真っ赤に目を泣き腫らしているお竹をつかまえて「おまはんはお竹はんやな、この度は娘子を失くして悲しかろう。じゃがな、お弔いを出すのは二、三日見合わしなされ、きっと思いもよらん事が起きましょうぞ」聞いていたお竹は「どこのオジンならよ、この取り込み中にいらん世話を焼きくさって」「やあ、これは申し遅れた。わしは岡の地蔵の化身ですのじゃ。そなたの信心けなげなるによって、娘を蘇生させて進ぜよう。それのみか無事男児が生まれるであろう」と言うや否や白髪の老人は忽然と消えた。お竹は岡のお地蔵さんの方角に向かって伏し拝み、それから急に元気になった。お弔いの準備の人達に「あんさんら、まあ一服やっとくなはれ、お松の葬式は出さいでもええ事になりましてん。どうもお忙しいところご苦労はんでおました」と浮きうきして言うのであった。
     そしてある日の朝、お松が生き返ると共に産気を催し、やがて無事に元気な男の子が生まれた。その子は市助と名付けられた。市助は幼少のころから頭脳明晰で『トンビが鷹を生んだ』ようなものだと世間では噂した。そして、市助が13歳になった春、根来寺へ登った。根来寺で長年修行を積んだ市助はやがて法海上人となり泉州の名刹、林昌寺に入った。境内にあった岡の地蔵堂は粗末なお堂であった。法海は村人の協力を得てお堂の建立を図った。岡中村はもとより近郷近在から優れた大工を集め資金の調達や木材屋との交渉など厄介な物であったが準備工事が着々と進みました。
     しかし、困った事が起きました。それは漆が無い事であった。「難儀なこっちゃの~漆を塗らん事にゃせっかく立派に彫刻しても、年月がたったらワヤになるやんけ」「漆は都合付いてから塗ったらええやんけ」などの意見がでた。このころは漆が大変貴重であり高価な物であったので、村人達は自分たちで漆を栽培することにしました。畑のあちこちにハゼの木を植えました。やがて何年かたってハゼの木に実を付けるようになった。いよいよ後2~3年したらお堂が完成するであろう時その日を待たずして法海の祖母、お竹が亡くなった。『一目立派な地蔵堂を見せてやりたかった』というのが法海の思いであった。
     さて、この頃夜な夜なハゼの実を盗んで回る人間が現れた。村役人は鬼の象を作りあちこちの畑に案山子のように立てた。鬼は生き物のように盗人を捕まえた。そのお蔭で不心得者がいなくなり無事地蔵堂が建立された。そして工事が全ておわり後、村役が材木代を払いに行ったところ、「そのお代は先程、白髪のおじいさんに頂きました。」と材木屋は言うのであった。
     その後、岡の地蔵は「鬼木田の地蔵」と名を変えて現在に至っている。
    長慶寺の主と鐘山和尚
     文政の頃(江戸時代後期)長慶寺の側に大きな古池があった。その池に何十年と長く長慶寺の主と言われる雌の大蛇が大勢の手下を従え棲んでいた。その名を「蛇王姫」と言った。 長慶寺の和尚は若くて美男だったので蛇王姫は和尚を誘惑しようとした。
     蛇王姫は「どえらい和尚か知らんけど所詮、若い男やんか、あの方も欲があるに違いあらへん」という事で蛇の神通力で妙齢の美女に変身して、朝早くから法事に出かけた和尚を待ち受けた。 …続きを読む
    ゆきりの租
     信達馬場は水利に恵まれない農村地域であった。江戸時代中期この村に辻井 利佐衛門と言う医師がいた。なかなかの名医師らしく村内のみか、遠方の富家(ふうか)からの往診の依頼も絶えなかった。「こないに立派な先生が何で町へおいでまへんのや」「その腕がもったいないやおまへんか、こんな田舎でくすぶってる法はおまへんがな」と町の金持ち達が進めるのであった。
     実は利佐衛門には一つの信念があった。20数年前利佐衛門が15、6歳の時、 …続きを読む
    小板谷小十郎の最期
     むかしむかしの事であった。ここ泉州樽井の浜に大勢の人々が集まっていた。 材木を一杯に積んだ小板谷の船が白砂青松の浜に寄せるところです。 やがて浜へ着いた船から材木がおろされ、直ちに市が開かれ、この材木の取引が行われた。 材木を手にした人々は「何せ安うに分けて貰えるさかい大助かりやんけ、小十郎さまさまやで」 「おまはん、知らんかったんかいな、小十郎はんは木の葉のお金で材木仕入れてくるんや、そやさけ、何ぼ安う売っても損せんのやがな」「そうかいな、木葉をつかまされた問屋は災難 …続きを読む
    小栗判官
     二条大納言兼家の嫡子小栗小次郎助重は常軌を外れる事が多い人で、父兼家によって常陸国の流人となった。家来10人を連れて相模の郡代横山大善殿の世話になる。横山殿の娘、照手姫(※1)の稀なる美しさに我を忘れて契りを結んだ。これが横山殿に漏れ伝わり小栗主従は毒殺され土葬される。家来は火葬にされた。
     一方照手姫は牢興に乗せられ相模川に流された。流れ着いた浦の長は慈悲深い人であったが無慈悲な妻によって人買い商人に売られた。更に越後、越中、能登、加賀、越前、若狭と …続きを読む